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8_17_あるがままに生きるということ

2013年08月20日 22:14

自分は自分で、他人は他人。
随分と前から言っているようで、中々自分の中で消化出来てません。


前からそうだったけど、自分は他人が良かれと思う行動が
自分自身の最善だと思って動く事が多いです。

人にいいように使われたりすることも多いし、
結局自分そのものがアンノウンになってしまって、
他人によく自分の考えが伝わらなかったり、ということもあります。

やはりそれでは、いつまでも自分に進展がないです。
言われたことをやるだけならロボットでも出来ます。


だから、今一度考えるべき、
自分は何を考えて、何をしているのか、
そしてそれをどうやって他人に知ってもらうのか。


人間は一人では生きていけません。
もっと自分自身についてよく認識して、
他人に知ってもらうための努力をするべきです。



もしかしたら曲がった考えなのかもしれないけど。
それでも、自分の考えがハッキリとしない今。
他の誰でもなく、自分とはなにか、ってことを真摯に考えていく必要があります。
他人がこう言っているからきっとこうだ、と言う考え方はやっぱり良くない。

「人間は考える葦である」という言葉があります。
相対性理論ってものもあるようですが、
「皆がこう思ってるからこの考えは相対的に正当性がある」と
一括りしてしまい、考えることを放棄してしまうことが少なくとも自分には多いです。

「世間一般から見たらこうだよ」という言葉や
「常識的に」、「一般論」という考え方。


もっと何にでも疑問を持つべきです。
すぐに纏めるのは時と場では良くない所。
そこで終わってしまうに似たりでもあります。




さて、纏まりがないですが今日はこのあたりとします。
成人にもなり、他人至上や利他主義がいつまでも通用すると思うのは
いい加減にやめたいものです。もっと自分ってものを自覚するべき。
もっと言うと、自分がいて他人がいるということを受け止めるべき。

まだ、これから改良できそうなところが多そうな自分です。
いざこざが減るからと言って、他人に尽くせばいいだろう・・・みたいな
いつまでも安定に拘っているのは良くない。
(・・・流石にそこまではないとは思うけど)

ではでは。ノシ




P.S

最近、とある友人に
「Setuの高校当初もそんな感じだったよなー」と、会った際に言われました。
高校当初というと・・・学校へ通うことへ対して、強い責任を感じて
出会う人には常に荘厳な姿勢という感じの・・・

自分を取り繕う必要は、あんまり無い気はします;
いくら責任があったって、ちょっと自分のそれ(フォーマルとカジュアル)の線引が
とても硬い気がしてならない・・・

もっと、裏表のない人間になりたいものですね。
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